人工股関節全置換術を受けるまで

　人工股関節の言葉を初めて知ったのは、昭和48年頃でした。地元発行の新聞の記事で知りました。それまでは、右股関節固定術を受け、腰の周りや右膝の痛みを抱え、また立つ、座る、寝る全ての動作に不自由を感じていましたが、どうにもならないと諦めていました。

　しかしこの記事を見てからというものは、”人工股関節”、この言葉が頭から離れなくなりました。暇を見つけては、地元の大学病院近くにある、医学専門書店へ行き、人工股関節に関する専門書を読みました。

　当時は、高齢者の変形股関節症に対応する手術と書いてあり、どこにも、股関節固定術を受けた者に対する手術とは、書いてありませんでした。けれど、なかなか忘れることが出来ず、その後も医学専門書店へは、時々通っていました。

　そして、とうとう人工股関節術を受けたいという気持ちを抑え切れずに、昭和50年12月、地元の大学病院の診察を受けました。しかし、人工股関節術の話をしましたが、全く相手にされませんでした。

　それよりも、右足が内転しているので、歩行時等、生活する上でいろんな支障が出ているので、骨切り術を受け、整形するように説得されました。

　私は不本意でしたが、昭和33年股関節固定術を受けた時の助教授が教授になっておられ、かなり楽になるからとの説明により、昭和51年2月に手術を受けました。その時3か月位入院した記憶がありますが、期待したほどの改善は見られませんでした。

　その後、昭和58年3月に結婚をし、翌年の3月に長女が誕生しました。長女を抱いて、父親になった感激を噛みしめました。誕生日の翌日、市役所に出生届を提出した帰り道、人工股関節にして、長女を育てたいと心の底から思いました。

　その日から、本格的にどうすれば人工股関節術が受けられるか考え始めました。有名国立大学医学部の整形外科宛てに、次々に手紙を書きました。しかし、全て出来ないとの手紙だけが帰ってくるのみでした。

　そこには、固定の状態が良いのであれば、あえて危険性のある人工股関節にする必要性がなく、また結核性股関節炎が原因なので、感染の恐れが多いため、あきらめるようにと書いてありました。

　昭和59年の冬、誰にも内緒で隣県のＱ大病院の整形外科を受診しました。勤務先には休暇届を提出し、妻には出張だと言って車で出かけました。

　この大学で駄目だったらもう股関節を人工にすることは諦めようと思いました。診察は最初若い先生でした「どげんしたと？」と話しかけられました。それで、人工股関節の手術を受けたい旨話ました。若い先生は「教授には話してみるが難しい」の回答でした。レントゲン撮影後、教授の診察がありましたが、回答は若い先生と同じものでした。私の望みは、なぜ叶えられないのか、永遠に駄目なのか目の前が真っ暗になりました。

　現在のようにインターネットなどない時代です。私は、股関節固定術を受けている方を全く知りませんでした。孤独でした。もし、現在のようにインターネット等で、同じ障害の方がおられることが分かるなら、どんなにか心強かったろうと思います。それからは、人工股関節術のことは、あえて忘れようとしました。

　平成5年頃になると、事務はパソコンを扱うことが急に多くなりました。私は、部下の若い職員に教えて貰いながら、操作を学習しました。その後、取引先との資料等のやり取りも郵送がなくなり、インターネットに代わりました。

忘れえぬ恩人との出逢い

　その頃です、昼休み時間にパソコンに向かい、何気なく股関節と入力し、検索しました。するとS大病院整形外科のホームページの”股関節だより”に偶然にもヒットしました。そして、”股関節だより”を読み始めました。すると、人工股関節全置換術後のアンケート調査結果という題で退院後の生活の調査結果が円グラフで掲載されてました。しかも67名の方から回答を頂きました。と書いてありました。S大病院では、人工股関節置換術を受けた人が少なくとも67名はいることを知り、驚きでした。その日の午後は、仕事が手につきませんでした。

　それは、平成12年の冬、とても寒い日でした。年末調整事務で、コンピューターの計算結果を検算していたことを覚えてますから、きっと12月だと思います。翌日の昼も”股関節だより”を読みました。1ページ目に教授Hとあり、創刊に際しての挨拶文が掲載されていました。その中に股関節外科の対象として、化膿性股関節炎と書いてあったのです。心臓が高鳴りました。長年の夢が叶えられると思いました。また、教授の顔写真も載ってました。まだ、44、5歳位の優しそうな顔でした。これが、H教授との一方的な出会いでした。この日は私の生涯の中で忘れられない日となりました。

　その日以降、人工股関節全置換術が頭から離れなくなり、すぐにでもＳ大に行き、Ｈ教授の診察を受けたいと思いましたが、すぐに考えたのは、経済面のことです。

　私には子供が二人いますが、当時上の子が高校2年生、下が中学3年生でした。二人とも大学まで進学させたいと思ってました。入学金や授業料が二人でどれくらい必要なのか考えました。もし、今手術して職場復帰できなかった場合、親としての責任が果たせないと思いました。あと最低でも7年は何としてでも待たねばならないと心に決めました。

　その後は、インターネットで人工股関節全置換術の情報を集め始めました。その当時集めたものでは、鎌倉の病院や東京の有名大学病院等のものがありました。

　1年、2年、3年、と月日は流れました。そして平成16年夏に下の子が大学へは行かずに短大に行くと言い始めました。説得しましたが駄目でした。その2年後、勤務先で早期退職の募集が始まりました。私はこの募集に応募しました。

　そして、平成19年3月上の子は大学、下の子は短大を卒業し私は30年勤めた勤務先を早期退職しました。やっと人工股関節全置換術を受ける環境が整ったのです。すぐにでもＳ大病院に行きたかったのですが、一方で情報を集めたため、手術に伴うリスクも認識し始めました。

　それは、人工股関節を挿入することに伴う脱臼や感染症などでした。また、妻の反対にも遭いました。夜寝られないほどの痛みもないので、固定したままでも好いのではというものでした。それで、もう1年だけ考えてみようと思いました。しかし、やはり1年は待てませんでした。

　翌年平成20年1月上旬、長女の助けを借りて、Ｓ大病院へメールしました。今までの経過と結核性股関節炎であり、固定術を受けている旨を書き、人工股関節全置換術が可能かどうか尋ねました。

　翌日、翌々日と祈る気持ちでメールの返信を待ちました。しかし、メールは入っていませんでした。やはり，私の場合手術適用ではないのかと思いました。

　ところが、3日目の深夜2時頃恐る恐る見ると、Ｓ大からのメールが入っていたのでした。そこには手術可能と思われるが、もし手術を希望されるなら受診してほしい、しかし今から予約しても診察は5か月待ち手術はそれからさらに1年待ちであるので、了解してほしいと書いてありました。

　私はその晩、眠ることが出来ませんでした。一睡もしないで、Ｓ大病院のメールの内容を妻に話しました。そして、はやる気持ちを抑えＳ大病院整形外科に診察の予約を入れました。やはり、5か月程待ってほしいとの回答でした。しかし、30年近く待ったのだから、5か月でも1年でも待ちますと返事をしました。

　ところが、Ｓ大の予約の電話のあと妻が地元の大学病院の診察を勧めました。Ｓ大もＫ大も同じ国立病院だから、同じように、人工の手術が出来るのではと言いました。それは地元であれば、入院時の付添、退院後の通院等がやり易いという考えがあったと思います。

　それで、妻の意見もある程度聞かなければと思い、4～5日後予約もなしにＫ大に行きました。

　Ｋ大での受付で人工股関節の手術を受けたい旨を話し、レントゲン撮影を終え、患者控室で待っていると名前を呼ばれました。当然教授の診察を受けられると思っていたのでしたが、違う医師の診察でした。診察室に入りこれまでの経過を話し、人工股関節の手術を受けたいと言いました。しかし、その医師は、なぜ股関節固定が上手く出来ているのに、人工にしたいのか理解出来ないようでした。

　そこで、歩行時、他の人からジロジロ見られるのが嫌、また生活上不自由な点を挙げました。そこで、ズボンを脱いで診察室を歩きなさいと言われ、その通りにしました。すると「それだけ歩けるなら、良いじゃないか、それに人工にしても、貴方の場合、長年の股関節固定のため、足の筋肉が全くと言っていいほどないので、杖を突かなくては歩行が出来なくなる」と言われたのでした。私は、この医師は人の痛みを分かってくれないと思いました。その時、やはり手術はＳ大で受けようと決心しました。

　その後、3か月程経った頃Ｓ大整形外科から電話がありました。5月2日診察予定の患者さんが、キャンセルされたのでよければ予定に入れますけどというものでした。私は、妻の承諾も得ずその場で是非お願いしますと言いました。

　そして平成20年5月1日高速道路を利用して、妻とＳ市のホテルへ行きました。なぜ、前日から行ったのか、それは、当日行けば道路状況によっては、診察予定時刻に遅れると思ったためでした。翌日、あまりにも早く起きたため、ホテルの周りを妻と散歩して時間をつぶしました。午前8時にホテルを出て、Ｓ大病院のある町まで車を走らせました。そして、夢にまで見たＳ大病院を目の当たりにしました。

　Ｓ大病院の整形外科の診察室は3階でした。そこで、予約している旨を話し、レントゲン撮影後、Ｈ教授が診察室に入って来られました。これが、Ｈ教授との初めての出会いでした。”股関節だよりで”初めて写真を見てから、既に8年が経っていました。

　私は、それまでの経過を述べて、是非人工股関節全置換術を受けたいと話を切り出しました。すると、Ｈ教授は「大変なご苦労されたんですね、貴方の手術は他の人の3倍難しい手術だが、ここでは既に50例もやっている、人より時間はかかるが、杖なしでも歩けるようになるので、頑張りましょう」と言われました。

　最初の言葉の「大変なご苦労されたんですね」は医師の方から初めて聞く言葉でした。何が何でもこのＨ教授に手術をして貰いたいと思いました。

　そしてＨ教授は手帳を取り出し、平成21年5月18日に入院して下さい。と言われ、若い先生に手術に伴う説明をするよう指示され、診察室を後にされました。私は、30年近く待ち焦がれた手術が、数分で決まってしまい、お礼の言葉も忘れて、患者用の椅子にただ座っているだけでした。それから、若い先生から入院に伴う説明を受けました。その後、Ｓ大病院の食堂で昼食をとり、家路を急ぎました。

　帰宅した後、放心状態になりました。そして、翌日両親の墓に行き、人工股関節全置換術を受けるとの報告をしました。両親とも生前、私の不自由な足を大変心配していました。私も人の親になって、子供の健康を一番に考えるようになり、親の心が少しですが分かるようになっていました。

　あと1年待てば好いとの思いから、手帳に手術日から逆算した日数を書き入れました。

　それから月日は流れ、手帳に書いた逆算した日数は、300日、200日、100日、30日となり、とうとうＳ大病院の入院日が目前に迫ったある日、Ｓ大病院から電話があり、予定通り5月18日午後1時頃に来て下さいと連絡がありました。1年前の初診時に入院日を5月18日と予定されたのですが、予定通りでした。